カテゴリー | 分娩取扱 |
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名前 | 今村 理恵子 |
所属 | 森田助産院 in 東京都福生市 |
昭和27年に祖母が開業した助産院を母が二代目として引き継ぎ、そこで私も助産業務に従事しています。助産院としては、妊娠中の不安を減らすためプレママ・パパ教室を行ったり、妊娠中や母乳ケアなどの産後ケアが充実した助産院で働いています。また、地域での活動や取り組みも助産院で伝え、産後の子育てを地域全体でサポートしていることを伝えています。助産院で働き出してすぐに地域に出て、行政の委託業務や新生児訪問、母子保健事業の活動を行っており、現在まで約30年間地域で生活する妊産婦さんを支える活動を行っています。
最近では産後ケア事業が普及し、訪問に行くことが増えています。分娩は激減しましたが、コツコツと続け、また地域の他の産院でお手伝いすることもあります。
その他に看護師として、特別支援学校にも月に数日勤務しています。
自宅が助産院ということで、私自身の生活の中にもお産が組み込まれていて、赤ちゃんの泣き声が聞こえてくることや、産後のお母さんたちが家の中で赤ちゃんを抱っこしたり授乳したり、そういう姿が日常でした。 「お母様の背中を見て決めたの?」とか「小さい頃から目指していたの?」とよく聞かれますが、その頃明確に意思決定していたわけではないと思います。
私のように助産院で育った子供は、その職業ゆえの厳しさも経験しています。子どもだったからでしょうか、そちらの思い出の方が強く残っているようにも思います。
でも産まれたばかりの赤ちゃんがとにかく好きでした。乳児室も併設していたので、そこで小さい子と関わったことが、助産師という職業へと結びつく大きなきっかけとなりました。
高校生の時、母に「赤ちゃんに接する仕事で、一人暮らしできるお給料がもらえる仕事がしたい」と相談したところ「それなら助産師でしょう」と言われました。
現代のような情報化社会とは違い、さまざまな職業を容易に知ることができる時代ではなかったので、小さい頃から見てきた、赤ちゃんとお母さんたちに関わる助産師の姿はすぐにイメージすることが出来ました。
私は赤ちゃんに関わりたいという思いが強く、助産師資格も取得しました。
病院勤務を経て、祖母が病気で助産業務が難しくなったことや自身の結婚を機に母を手伝うため助産院に入りました。助産院に入ると同時に地域母子保健に関わるようになり、今に至ります。
お産の時の、産婦さんたちの言葉が心に多く残っています。長かったお産が終わり、誰もが疲労感に包まれた中で産婦さんが「ああ、楽しかった!また産みたい!」と笑顔で言ったこと、初めてのお産の後に「陣痛って痛いとは違うね。この世に出るぞって押し広げられる感じだね」、五人目を出産された直後に「ああ〜気持ちよかった!この最後のズルンって感じがいいのよね〜また産みたくなっちゃう」などなど。言い出すとたくさんあるのですが、母は強いな、お産はすごいな、と思います。
一方で、最近では疲労感の強いお母さんにも出会います。赤ちゃんは泣くことが仕事だ、2〜3時間で起きるものだと分かってはいても、「寝かせてほしい」「どうしてこんなに泣くの」と気持ちを吐露されたりします。
時代の流れとともに、お産や育児の環境は変化していき、お母さんたちの悩みもまた変わっていくのだと感じます。核家族化の影響で、お母さんだけに負担が大きくなったという意見もありますが、必ずしもそうではありません。お母さんとその親御さんとの関係が良好でなければ、お母さんの負担が緩和されるような協力は望めず、それが赤ちゃんの成長にどんな影響を与えるかと思うと苦しくなります。
産後ケアで訪問すると、継続した方がいいと感じる親子ほど繋がらず、訪問費用をもっと助成してもらえたら、切れ目のない育児が実現できるのに、と歯がゆい思いをすることもあります。何か別の行政サービスに上手く繋がって欲しい、と願いながら、とにかく赤ちゃんが笑顔で元気に育って欲しい、その一心で、その時々に自分にできることを考えお手伝いしています。
子どもが育つ喜び、人が親として成長していく様を近くで見せていただけることにやりがいを感じ、自分が人として少しでも成長できたのではないかと思えることに幸せを感じられるので、ここまで助産師を続けて来られたと思います。
私は中学生頃から、強く優しい人になりたいと常に考えていました。その手段の一つとして助産師という仕事を選び、この仕事は私をその域へ導いてくれるだろう、と信じています。
振り返ると、失敗したことや、辛かったことは詳細に覚えていて、次にそのことを起こさないようにするための、日々研鑽するエネルギーとなっています。そして、うれしかった出来事は具体的には思い出せないこともあるのですが、喜びが心や体にはしっかりと刻まれていて、自分の中で助産師としての核になっているように思います。一人の方の出産から産後ケアまで、何かの答えが見つかる手助けができたと思えるまで、考え続ける日々なのだと思っています。
私の働く助産院は初代から数えると69年続いています。
ホームページを見ていただくと分かるように、私たちの助産院は、敢えて高い理想を掲げたりしていません。お産はこういうものだ、と押し付けるようなことはしたくないと思っているからです。以前は「こんなお産がしたい」と明確なイメージを持って助産院に来られるお母さんも多く、個々に合わせた対応をしていました。現代のお母さんたちは、明確な意思を持って来院されることは少ない印象ですが、赤ちゃんが元気に産まれ育って欲しい、と願いお産に携わることは昔も今も変わりません。
「とにかく赤ちゃんが好き」から始まり、その子たちが元気に育って欲しいと願い、そのためには今お母さんたちを支える必要もあると強く感じています。助産師の枠を超えたことなのかもしれないですし、難しいですが、難しいからこそ面白い、助産院の経営も含めて、何をすればいいかと試行錯誤する日々です。
私の尊敬する大好きな方が「やりたい時にはすぐにやってみるといい」といつも言ってくれます。まだ自分は力不足だと感じ、もどかしい思いもありますが、時代の流れを見つつ、その時々の自分の想いを大切にしながら、出来ることをやっていこうと思っています。
漠然とでも興味があることはどんどんやってみると良いと思います。私自身、赤ちゃんが好きだということを思い続けてここまで来ました。助産師として何かを決める時の基準はいつも赤ちゃん中心です。赤ちゃんとお母さんのためを考えて行動することが自分の成長にも繋がり、それが幸せとなっています。きっかけはなんであれ、10年後楽しく助産師として活動できるように今何が出来るのか考えて、行動してみてください。助産師は後輩育てが好きな方も多いので、気になる活動をしている先輩を見つけたら、思い切って声をかけてみるといいと思います。
また、日本助産師会の開催するセミナーや集会に参加すると、多種多様な活動をしている助産師の経験に間近に触れることが出来ます。尊敬できる先輩に出会い、自身の助産師像が更に輝いたものになることを願っています。