カテゴリー | ウィメンズヘルスケア |
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名前 | 佐藤 友香理 |
所属 | 日本赤十字社愛知医療センター名古屋第二病院 産科病棟 |
私は現在、日本赤十字社愛知医療センター名古屋第二病院の産科病棟で働いています。普段は産科での業務が主ですが、国際医療救援部にも所属しているので、災害時や海外の医療支援が必要な場合は派遣職員として現地に赴きます。
また病院内には「性暴力救援センター日赤なごや なごみ」という施設があり、私はそこでSANE(性暴力被害者支援看護職)のメンバーの一員として、性暴力被害者に対して早期からの身体的・心理的支援をする仕事にも携わっています。
助産師を目指したきっかけは?
学生の頃から他の人のために役に立つを取りたいと思っていたことと、医療分野に興味があったことから、看護学校に入学しました。看護実習で分娩の見学をしたとき、生命の誕生に対するなんとも言えない感動を覚えました。理屈ではなく「やってみたい」と純粋に感じたことが助産師を目指したきっかけです。
助産師学校での実習や勉強はかなりハードで、決して楽ではありませんでした。レポートもたくさんあったし、実習で患者さんとどう関わるのが最善なのかという迷いも経験しました。でも助産師は素晴らしい仕事という思いは常にあり、今は助産師になって本当に良かったと感じていますし、毎日やりがいがあります。
現在の国際医療救援部のお仕事に就いたきっかけは?
10年ほど前、主人の仕事の関係でインドに3年間住んだことが大きなきっかけでした。インドに行って最初の1年は、言葉の問題や環境・文化の違いで日々の生活に慣れるのに精一杯でした。でも慣れてきた頃に、助産師としてインドの母子について色々と調べたり見聞きしたりするようになりました。
インドは本当に貧富の差が激しくて、お金持ちの人たちは日本と同じように病院で出産します。でもそれほど豊かでない人たちはそもそも妊婦検診を知らないし、お腹が大きくなったら妊娠、陣痛が来たら出産という人が大半です。また、家で出産することも多々あります。国が費用を負担してワクチン接種を推奨していますが、それを知らずに出産して破傷風になり、救える命が救えない現状があることを聞きました。
そのようなインドの人たちが妊婦検診やワクチンの必要性についての知識を持てば、状況を少し良くできるのではと思いました。知識を伝えることなら私にもできるかもしれない、と思ったのが国際救援に興味を持ったきっかけです。そのあと日本に戻り、海外の出産や母子の健康課題に対して助産師として何かをしたいと思い、今の病院で国際医療救援部に入りました。
現在の勤務先でSANE(性暴力被害者支援看護職)の活動に携わったきっかけは?
SANE(Sexual Assault Nurse Examiner)は、日本語では「性暴力被害者支援看護職」と呼ばれています。「性暴力救援センター日赤なごや なごみ」では、急性期の性被害に遭った人の総合的な支援をしています。私たち看護師だけでなく、医師、医療ソーシャルワーカー、支援員、臨床心理士、精神看護専門看護師に加え、司法行政、民間のNPO団体とも連携しながら性暴力に遭った人たちを助ける施設です。その中での研修を受けた看護職がSANEであり、こころと体の回復に向けて寄り添いサポートすることが求められます。
私がSANEの必要性を感じたのは、 バングラデシュの国際救護活動で、ミャンマーから逃げてきた避難民の母子保健活動をした経験がきっかけです。
バングラデシュは文化的に男性が強く、女性は家族計画など家庭の中でなかなか自分の意見を言えない現状がありました。子どもが多く経済的に厳しい暮らしから抜け出せない避難民の生活を見たときに、家族計画の重要性をすごく感じました。
また、紛争や災害が起こった場合、性被害が増える傾向にあります。そういった現状を踏まえて、国際救援や国内救護をする中で「性被害についてもっと知識を持たないといけない」「性被害にあった人の心のサポートが大事だ」と感じてSANEのメンバーになろうと思いました。
助産師は赤ちゃんの生命力をいつも感じられて、出産に立ち会うごとにエネルギーをもらえる仕事だと思っています。
お母さんに「おめでとう」って言えた瞬間はとても嬉しいし、喜びを共有できる機会をありがたく感じます。出産1回1回がすごく充実した体験になっています。
バングラデシュの国際救護の母子保健分野で活動していたとき、赤ちゃんの生命力を感じたのが一番心に残っています。ミャンマーから逃れてきた避難民も、インドと同じように妊婦検診を受けずに陣痛が来たら自宅で出産をしていました。病院には行かず、地域にいる資格のない伝統的産婆さんが出産を手伝う文化があります。
ある日、生後1ヶ月半で体重が2.5キロほどしかない小さな赤ちゃんがやって来ました。おそらく早産で生まれた子で、診察の結果肺炎が見つかり、発熱でぐったりして哺乳力も乏しくおっぱいを吸えない状態でした。でも当時、私たちのクリニックには赤ちゃんの点滴がなく、薬を渡すことしかできませんでした。また避難民はミルクや哺乳瓶を買えないので、母乳を与えるしか方法はありません。
とにかく何かしなければと、お母さんに母乳をスプーンであげる方法を伝えました。日本では搾乳は当たり前ですが、おそらく現地には搾乳の文化がなかったと思います。搾乳のやり方やスプーンでのあげ方を伝えると、お母さんは本当に一生懸命聞いてくれました。翌日に来院したときは、赤ちゃんの経過が良好になっていて安心したのを覚えています。赤ちゃんの生命力の強さと、子を思う母の強さを感じた出来事でした。
SANEは関われば関わるほど難しい分野だと感じています。性被害に遭われた方は日常生活に影響するようなトラウマを抱えていたり、家族背景が複雑だったりして、様々な環境にいるためその根本を解決することはすごく難しいと考えています。
それをSANEが一人で抱えるのは重すぎますので、なごみのメンバーとともに包括的に支援していく重要性を感じます。性被害が起こると加害者の逮捕に目が向けられ、被害者のケアはどうしても置き去りになりがちです。そこを私たちが間に入って、被害者の心や身体のケアをすることを最も大事にしています。
辛い過去を抱えながらもサバイバーとして前を向いて生きていけるよう、なごみのメンバーと連携してサポートしていきたいと思います。
SANEの活動で様々なケースに関わる中で、親から子への性教育の重要性を強く感じています。日本はどちらかというと、親があまり性教育について言わない文化を持っています。そこをもっとオープンにして、子どもの年齢に合わせて「自分の体を自分で大事にしなさい」と伝えられたら、予防できる性被害もあるのかなと思います。
以前、ドイツの赤十字主催の家族計画に関する研修に参加したとき、日本の考え方がすごく遅れていると実感しました。日本の家族計画は男性主体となっている場面が多く、避妊方法もコンドームが主です。一方でヨーロッパでは、IUD(子宮内避妊具)やピルの使用は女性の間でかなり普及しています。
日本社会には、男性主体の文化がまだ残っています。しかし、まずは女性がもっと自分の体を知り、自分の体を守るために行動することが大事です。将来いつ子どもを産むかという家族計画を自分で立てて、そのためにどうしたらいいか女性が主体となって考えることが必要だと思います。
助産師は出産を手伝う職種というイメージが強いですが、ここ10年ほどは性教育に力を入れる助産師が増えてきて、学校や講習会などで対象に合わせた性教育を実施しています。もちろん、私たちは良い出産に向けてお母さんのお手伝いをします。でもそのあとの良い育児や良い親子関係の構築に向けてもサポートできるようになることが大事です。
その中で親から子への性教育の重要性を伝え、それがまた次の世代にも伝わっていくような良い循環ができるのが理想です。そういったことを私自身も色々な講習会でお伝えしています。オープンに性教育について話せる親子を増やす活動も、助産師として今後力を入れていきたいですね。
助産師の仕事は、出産がメインだと考えがちです。実際に今働いている病院でも、新人助産師はみんな分娩介助ができるようになることを一番の目標にして頑張っています。でも、分娩介助は助産師の仕事の一部です。実際は「ゆりかごから墓場まで」が助産師の活動できる範囲だと私は思います。赤ちゃんから性教育・出産・育児・更年期・老年期と、女性の一生に関わることができるのが助産師です。
そのような幅広い活動がある中で、自分がどんな助産師になりたいかという「理想の助産師像」を見つけることが重要だと思います。私自身は、看護学生や若手の頃にはこれという助産師像がなくて、出産だけにこだわっていたと感じます。けれど10年前にインドに行ったとき、「やりたいことがやっと見つかった!」と思いました。そのときは助産師になってから20年ほど経っていました。
人生、何が起こるか誰にもわかりません。つらいと感じたらちょっと休んでもいいし、休むことも含めて人生に無駄なんて一つもないと思います。つらい出来事だって、何かを乗り越えるための大事な経験です。今では私も、「人生はつらいことも楽しいことも全部意味がある」といつも考えながら、助産師の仕事を頑張っています。