カテゴリー | 産後ケア |
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名前 | 比良 静代 |
所属 | 比良助産院 |
開業助産師として、妊娠中の相談、産後の母子・家族ケア、健康相談を中心に活動しています。出雲市の委託を受けて、母子訪問や、乳幼児相談、赤ちゃんお世話教室なども実施。育児不安を軽減できるようなサポートを目指しています。また、臨床現場の助産師当直を、月に数回引き受けたり、大学・大学院での助産学講義や助産院実習に携わっています。
コロナ禍になり、個別の対応が更に求められるようになった現在、ゆっくりと丁寧な母子・家族支援が重要だと感じながら働いています。
母子家庭に育ち、母の苦労や頑張りをみて女性も自立(自律)して生活したいと思っていました。母は祖母を9年間自宅で介護しており、私は学生だったこともあり母の負担を軽減できるような協力はできませんでした。祖母の葬儀の際、母がとても晴れやかな表情をしていたことが印象的で、仕事と介護を両立させながら、子ども(私と兄)の生活も、一馬力で支えてくれていた母を、本当にすごいと思いました。やりきったという思いの母の横で、私はとても後悔を募らせていました。このままではずっとこの後悔を引きずるのではないか、祖母にできなかったことを別の形で返していくことはできないだろうかと考え、看護師を目指すことを決めました。
看護学はどの分野も興味深く、疾患の理解を深め、患者さんを多角的にアセスメントし、問題を提起し、解決策を見出すことに面白さも感じていました。その一方で、看護師は患者さんに一番身近に寄り添っているのに、医師の指示を待っている場面が多い印象を受けました。そのような学生生活の中、母性看護学実習で運命的ともいえる出会いがありました。 陣痛発来した産婦さんに対し、担当助産師さんと一緒に私もケアに携わらせて頂く機会をいただきました。産婦さんの状態や分娩進行を的確に判断しながら、産婦さんにしっかり寄り添い、産婦さんが助産師さんに身を任せている様子に、私はゾクゾクと心が揺さぶられていました。医師が診察をしようと訪室された際にも、進行状況を的確に伝え「先生の診察はもう少し後で!」と提案されたり、異常が起きていないことを判断できているからこそ、その場のケアを一人で担えるということが学生の私にもよく理解でき、「助産師さんってすごい!」と何度も心の中で叫んでいました。その時に「助産師になる!」と決めていたと思います。
現在の仕事を始めるきっかけを教えてください。
~助産師の資格取得から、大学の教育現場へ~
助産師になり、病院勤務では基礎となる様々なことを学びました。結婚を機に夫の転勤で九州へ転居すると、そこでは身近に頼れる人のいない育児の大変さを経験しました。その次の転勤先は地方のコンビニも無いような小さな町で、助産師が来たということを聞いた町の方が声をかけて下さり、両親セミナーに講師として呼んでくださったり、自分自身の育児経験を話す機会もあり、地域で資格を活かせる楽しさを経験しました。 地元に戻ることになった際に、大学からお声がかかり、実習のサポートに来てほしいと言われた時、自分自身が学生の頃の実習体験を思い出しました。初めてのことでもまずやってみよう!という思いや、私のように心が揺さぶられる学生さんが増えるといいな、という思いで引き受けることにしました。 教育の楽しさも感じ、大学院へ進学、その後、大学教員として勤めることになり、気づけば8年間という月日を教育現場で過ごしていました。
~教育現場での経験と助産院開業までの経緯~
学生の皆さんと臨床現場に出ると、退院後の不安を感じるお母さんや、社会的リスクを抱えるご家族が増えてきていると感じていました。サポートのない中で育児を担うお母さんに出会うたびに、地域で母子やご家族を支えることが不可欠な時代が来ていると強く感じ、産後ケア中心の助産院開業を決意しました。 開業するにあたり、仕事場となる助産ケア室にはとてもこだわりを持ちました。「癒しを与えられるカフェのような雰囲気」「実家に帰ったようなホッとできる空間」をコンセプトに、カウンターでしっかりとお話が聞ける空間作りを工夫しました。 母子の愛着形成、セルフケア能力や家族の力が高まる子育て支援がとても重要であり、助産師の力の見せ所ではないかと思います。地域に出て6年目になりますが、地域助産師の実践力、アセスメント力、包容力、連携力がかなり必要な時代であると日々感じています。
心に残っているエピソードを教えてください。
心に残っているエピソード・経験はたくさんあるのですが、その中で2つのエピソードについてお話しさせていただきます。
1つ目は、助産学生の頃のエピソードです。取り上げさせて頂いた赤ちゃんを、産後も成長を見守っていくという継続事例で関わりを深めたケースです。産後の赤ちゃんサークルを作り継続して関われ、また、ご成長の節目にはお母さんがお手紙やハガキなどで報告して下さり、どんどんご成長されていく様子を見守り続けることはとても温かい喜びでした。ある日のテレビのニュースで、春の新入職員の様子が映し出され、偶然その児(大人になった姿)を見かけた時は、こんなに大きくなったのだと感慨深いものがありました。 さらにその児がパパとなり、自身の子を連れて助産院へ訪れてくれたり、パパ向けのパンフレットを作成する際には家族でモデルになって下さったりしました。ここまで継続してご家族を見守らせて頂ける助産師という仕事は、本当に幸せな仕事だなあと実感しています。
2つ目は、産後うつで入院したお母さんとの関わりが心に残っています。 第1子の妊娠・出産の際も気持ちが沈む傾向にあり、相談を受けながらなんとか乗り切った経験がありました。第二子妊娠の際には、前回のことを教訓に、例えば母乳に拘りすぎずにミルクも併用することや、家族の協力体制も整えて臨みましたが、産後1ヶ月健診の頃には大きく心が沈んでしまうことになりました。 子供を二人抱えるという初めての育児環境に、重症の産後うつを発症。その後3ヶ月ほど入院された際にも連絡を取り続け、ご家族や主治医、保健師とも連携しながら、寄り添い続けました。 これでいいのか、もっと他にできることはないのかと自問自答する日々でしたが、時間をかけてその方に寄り添いながら、数か月後、元気になって産院を訪れて下さった時は泣いて喜び合いました。普段は健康的で前向きに生活されている女性でも、どんな人でも精神の不調を来すリスクがあることを学び、地域の助産院だからこその継続した関わりを経験することができました。
ご苦労されたことがあれば教えてください。
妊娠期から産後までの継続支援を通し、地域の中での助産師の役割を強く認識することになりましたが、一方では、年間1400件の分娩を抱える市内の全ての母子の「切れ目ない支援」をどう支えるのか、とても難しい現実を感じています。お母さんやご家族との信頼関係作りや、関係職種の方々との連携方法等、難しい点はたくさんありますが、とにかく温かい気持ちで、丁寧に、コツコツと、継続していく!という思いで頑張っています。
専門職だけではなく、地域の人も含めたセミナーなどを開催していきたいです。 例えば「孫育て講座」「パパ塾」。実際にお孫さんがいない方でも、地域の子供を見守るという視点で出来ることを提案させていただいたり、育児は家族や地域で一緒に!という認識が高まるような活動を実施し、様々な方の力を借りた「切れ目ない支援」を充実させていきたいと思っています。 そして、自己研鑽を続けるために、大学院の博士課程で再び学びを深めていく予定です。これまでの仕事も継続しながらの学びなので、おそらく自分に足りないことに直面する日々になると思いますが、自分に足りないことに目を向け、学ぶ過程を楽しみながら、母子とそのご家族にとって優しい社会が実現できるよう努めていきたいと思います。
私が学生の時に一目惚れした助産師の仕事は、遣り甲斐がありこの上ない仕事だと思います。何年経っても向上心を持って、やりたいことを極める努力をすることが楽しさにつながると思います。地域での開業等に興味のある方など、ぜひ一緒に夢を語り合ったり、情報交換したりしましょう!