カテゴリー | 包括的性教育 |
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名前 | 櫻井 裕子 |
所属 | さくらい助産院(出張)in 埼玉 |
小学生~大学生とその保護者へ向け包括的性教育実践
包括的性教育の実践内容としては、国際セクシュアリティ教育ガイダンスにあるように、妊娠、避妊、出産という限定した学びではなく、人権・多様性・ジェンダー平等を基本に、自分と自分の大切な人の、今と未来の健康と幸せの為に知っておいて欲しい事を伝えています。学校や保護者、地域で活動している民間団体や企業など、さまざまなところがご依頼をくださります。最近では都道府県助産師会の方からのご依頼も頂きます。ありがたい事に2021年は100回講演することができました。
最初の講演依頼は2000年で、その後の2003年に大規模な性教育バッシングが起こりました。その辺りから性教育全体が大きく揺れましたし、助産師が行う性教育の様子もずいぶん変わったと感じます。いのちの大切さを語る事、誕生の奇跡や神秘を語る事、親の苦労や思いを伝え、子どもから親への感謝を引き出す事などを、依頼側から求められるようになりました。とても大切な事ですが、すべての子供が家族に恵まれている訳ではありません。子どもたちの反応や感想文、訪問で出会う困難を抱えた親たちの姿から、学校で行う性教育にはかなり配慮が必要だと感じます。私の話しで傷つく子どもや保護者がいないか注意しなければいけません。私も過去に伝え方を誤ったことが多くあります。だからこそ、誰一人傷つけないのは限界があるかもしれませんが、常に振り返り、偏りを可能な限り修正したいと思っています。
産前産後ケア訪問
近隣3市で赤ちゃん訪問等、主には産後のケアを行っています。活動を始めて26年目ほど経ちますが、育児の情報源の大きな変化を感じます。私が訪問し始めた頃は、育児書などが情報源でしたが、今はSNSが情報源となっている方が多く、SNSとなるとすべての情報を把握仕切れなくなりました。ですが、新しい情報を知っているけど、それを選択してよいものか分からず不安になる方が多い印象です。様々な管理アプリを駆使して一見便利そうだけど、窮屈になっている方も増えています。昔は、育児書に書かれている一般的な「正解」からはみ出すと不安を感じていた。最近は、自分と地続きの先輩や仲間たちが体験や思いをSNSで発信しているので、できない自分にもどかしさを感じ落ち込む。どちらの場合でも、その人の状況を理解して交通整理のお手伝いをしてあげる必要があり、その役割を妊娠中から助産師が継続して行えるのが理想だと思います。
非常勤講師
看護専門学校3校で非常勤講師として母性看護を教えています。母性看護の領域を学びたい学生ばかりではないので、興味がない人に興味を持ってもらえるよう毎回四苦八苦しています。「やめたい。やめたい。」と言い続けていますが、実習で落ち込んだ時や進路に迷った時に相談してくれる学生達がかわいくて辞められません。私が開催するセミナーやイベントにも参加した後に「講義を受けて助産師になりたいと思いました。」と言われたりすると、気持ちが上がり「やめたい。」と言い出せなくなり20年ほど経ちます(笑)。
学生の中には男子もいます。初講を受けた後の彼らの感想は「気まずい。受けなきゃいけないから仕方ない。できれば受けたくない。」といったものが多いです。正直な意見だと思いますが、彼らが前向きに積極的に学べるようにすることが大きな課題です。月経と出産は女性しか経験できませんが、妊娠は女性だけでは成せない事であり、男性の当事者意識がとても大切だからです。
私は小学校2年生の時からずっと看護師を目指していました。一度も浮気することなく、ずーっと「看護師になる」と。担任のからの薦めで、准看護婦(当時)の資格を取るところからスタートしました。その後、進学コースの看護専門学校に通っていた時に、妊娠がわかりました。やっと看護師になれる幸せを感じながら、忙しくも充実した学生生活を送っていた時期です。しばらくは妊娠を受け入れることができず、かなり悩みましたが、当時の病院の医師とのやり取りに思うところがあり、出産することを決意しました。ただ、子どもは産む、学校はやめたくない、という気持ちしかなく学校に「休学したい」と申し出ました。当初学校側の反応は冷たく「妊娠を理由の休学は前例がないから認めない」と言われました。当時としては一般的な回答だったと思いますが、私はそこで引き下がりませんでした。何かのスイッチが入ったようで、休学を求めて学校側と何度も話し合いをしました。最終的には休学が認められ、出産のために選んだ病院が当時は珍しかった助産師外来でした。担当してくれた助産師さんが「妊娠おめでとう」と言ってくれました。思えば私の妊娠に無条件で「おめでとう」と言ってくれたのは、その助産師さんが初めてでした。知らず知らずのうちに「私の妊娠はおめでたいものではない」と感じてしまっていた私に、「学生だからとか休学中とかそんな事はどうだっていい事だよ。この先どうにでもなる。まずは妊娠できたあなたの身体におめでとうだよ」と言ってくれました。この言葉に心をわしづかみにされました。その瞬間「あなたになりたい。あなたみたいな助産師になります」と決めました。
助産所を開業したきっかけを教えてください。
3人目の子どもを自宅出産したことがキッカケです。友人である助産師が自宅に来てくれて、時間をかけて丁寧に妊婦健診をしてくれました。NOストレスの健診で、毎回の健診が楽しく、その先にあるお産も楽しみでわくわくしっぱなしでした。こんなに幸福を味わえる自宅出産、最高じゃないか!と感じました。お産当日も家族はいつも通りの生活で、日常の中にお産だけが入り込んだ感じも心地よく、生活と一続きのお産は究極だ!と思いました。その陰には、助産師と医師、その他スタッフ方々のしっかりとした連携と、緊急時にも対応できる体制づくりが欠かせません。自分の自宅出産をきっかけに、自宅出産の素晴らしさを知り、携わりたいと感じ翌年には開業届を出しました。
自宅出産を扱っていた期間は23年間で現在は辞めています。
嘱託医にもサポート助産師にも恵まれて順調な23年間でした。だからやめる時は多くの人に惜しんでもらえました。「もったいないよ」と言って下さった方々の声にも救われました。
自然なお産をお世話した経験が、今の私の活動にも大きな影響を与えています。その方にとって安全にそして幸せなお産、納得のいくお産を選択できるように包括的性教育の実践の場でも伝えていきたいと思っています。
性教育に携わるようになったキッカケを教えてください。
約1週間離島に渡って高校生に性教育の講義を数回実践するという実習があるなど、私が通った助産学校は恐らく日本で一番性教育に力を入れていた学校だったと思いますが、自分自身は当時、性教育に対して積極的に取り組んでいませんでした。当然ながら、卒業後は性教育からは遠ざかってしまいました。しかし、やはり自分の子どもにはきちんと伝えたいという思いがあり、身体の事や性に絡む話を質問されるたびに丁寧に答えていたつもりでした。月経などについては、何度も何度も聞かれましたから、10回以上話したと思います。ですので、我が子には、きちんと伝わっていると思っていたのですが、いつの間にか学校で友達に聞いたトンデモない情報を信じていたのです。そこから学校で行われている性教育が気になって仕方なくなり、授業を見学させていただきました。私の気持ちを汲み取っていただいたのか、担任の先生から「保健の授業の一部で、助産師として子どもたちに話してほしい」と依頼がありました。20分程度の短い講義でしたが、そのことがキッカケとなり、他のクラスや他の学校からも講師として呼んでいただき、性教育の実践を重ねることができました。
この世の終わりまで残る職業を挙げたら、助産師は必ず入ると思っています。絶対にAIに奪われない職業であるとも思います。最近SNSや便利アプリに押されそうな部分もありますが、私たちは温もりを持って安心を届ける使命を丁寧に果たして行きましょう。私は助産師さんの言葉に救われました。助産師さんから安心と自信をもらいました。助産師さんがいなければ今の私はいなかったと断言できます。この職業に就けた事、継続できている事が幸せでなりません。この職業を守るために、この職業によって救われる女性やその周辺にいる人たちのために、一緒に歩みましょう。