陽だまり助産院での母乳育児相談や産後ケアが仕事の6割を占めています。ママやご家族が地域で安心して子育てができるよう、妊娠中から必要とされる助産師ケアを、来院と訪問の両方で提供しています。
令和3年11月に産後ケア施設を増築し、デイケアとショートステイを開始しました。利用してくださる方がみるみるうちに増え、目まぐるしい毎日を送っています。
また、地域母子保健の仕事の中で心理支援の必要性を痛感したため、令和元年に公認心理師の資格を取得しました。枠組みのあるカウンセリングを希望される方は少ないのですが、話を聴いてほしくて来院される方も多いように思います。日々の相談業務でカウンセリングスキルを活かし、問題解決のお手伝いをしています。
その他、さいたま市の「産婦新生児訪問」「産後ケア訪問」、大宮林医院からの委託の産後ケア訪問、埼玉県母体・新生児搬送コーディネーターが主な仕事です。
私が育った家族は、祖母、祖々父、祖々母も同居の大家族で看護や死が身近にあったため、もともとは看護師になろうと思っていました。しかし、出身の広島大学病院の産科実習で、助産師の大先輩が生き生きと仕事をされていてとてもキラキラ見えて、何が芯に強いものがあると感じました。「看護師と何が違うんだろう」と考えたとき、助産師は正常分娩であれば医師の指示がなくても扱うことができる、ある意味自立しているというところだと思うのですが、「自分もそうなりたい」と憧れを持ったことが助産師を目指したきっかけです。
現在の仕事を始めるきっかけを教えてください。
新卒での就職は広島市民病院で、毎年1000件以上の分娩件数があり、NICUもあったので母体搬送も多く受けており、とても忙しい病院でした。結婚で大阪へ移住、第1子の妊娠出産を挟んで総合病院の病棟勤務助産師として働きました。第1子の妊娠で切迫早産になりほとんど働けない状態だったため、第2子の妊娠が分かった時に仕事を辞めました。勤務助産師歴は10年弱です。病院勤務をしていた時、「この母子が退院して地域に戻ったとき、どのように困難を乗り越えていくのだろう。」と心配になるケースが多々ありました。人の心配もですが、自分の妊娠出産子育ては非常に大変で、産後は毎日フラフラでうつ状態だったと思います。
下の子が3歳の時に夫の転勤で埼玉へ引っ越すことになりました。落ち着いたころ、自分の体験から「大変な子育てをしている母親がきっといる。力になれることはないだろうか。」と思い、平成16年に埼玉県助産師会に入会し、「産婦新生児訪問」に携わることができました。自分自身が子育てで苦しんだことが、地域母子保健に力を注ごうという動機づけになりました。この活動を通して、地域で助産師が信頼されるケアを行い、多職種と連携して母子と家族を支えていくことがいかに重要かを学びました。
助産師会では、私の運命を変えた出会いがありました。過去に助産師会が衰退していた時期があり、当時日本助産師会埼玉県支部長であった小田切房子先生は、「このままではいけない、助産師会を守らなければ、これから子育てする人たちが困る。」という信念を貫いた方で、まずは埼玉助産師会を盛り上げていく活動のお手伝いとして、事務局兼総務という形で参加することになりました。具体的には、会員を増やす活動や、助産師のスキルを高めるために研修を開催するお手伝い、広報活動としてホームページビルダーを勉強して、ホームページを制作しました。持続可能な助産師会を目指して運営マニュアルも作りました。ちょうどそのころ、日本助産師会総会が埼玉県で開催されたり、一般社団法人への法人化準備もあり、激動の時代でした。微力ながら、助産師会を繋いでいくという役割もあったと思います。
次に理事会でお世話になったのが元埼玉県助産師会会長の中島桂子先生で、中島先生は日本助産機構の適格認定を受けられた助産院を経営されていて、トップとしても人間性も尊敬できる方から、助産師の持つ可能性や自律と自立性を学べたことで、助産院を開業したいという願いが叶うに至ったと思います。また、助産師会の研修制度のお陰で開業の道が開けたと思います。満を持して平成25年に陽だまり助産院を開設し、現在に至っています。
日々、小さな感動があります。ひとりひとりのママが赤ちゃんと出会うこと、それぞれに物語があります。私が心がけているのは、おっぱいが詰まったという症状をただ治すだけではなく、赤ちゃんとママの組み合わせ、家族背景やサポート体制、困っているところを具体化し、全体を見た上でアドバイスするようにしています。ママは他の赤ちゃんと比較したり、インターネットからのたくさんの情報で不安になり、家族や友達に「大丈夫」と言われても、助産師の一言のほうが安心するというのはありますよね。赤ちゃんはそれぞれ違うので、ママと一緒に考えて安心を持って帰ってもらうようにしています。「ここに助産院があってよかった」「訪問に来てもらえてよかった」と言ってもらえることにやりがいを感じます。
開業のノウハウがよくわからず、開業助産師マニュアルを手に入れたもののよくわからないことだらけで、手探りで開業の準備をしたことです。最初は経費をかけられなかったので、苦手な経理は本を読みソフトを買って帳簿を付け、確定申告に挑みました。最初のホームページは、ホームページビルダーでマニュアル本を読みながら自分で作りました。しかし、なかなか綺麗にいかない、写真が大きすぎたりはみ出たり、ボタンがずれてしまうなど、時間がかかるんですよね。今のホームページはプロの方にお願いしたのですが、やはりいいですね。最近では、レジやカード決済ができるシステムの導入も含め、助産師業務以外の部分で本当に苦労しました。
実際に助産院を開院した時は、認知されていなかったため利用者さんがなかなか来なかったりしました。今も苦労していることといえば広報の部分です。皆さん口コミやホームページを見比べて、ここにたどり着く。「助産院の情報にたどり着くのが大変だった」「早くここにかかりたかった」と言われることがあります。この部分は、地区の助産師会でも話題になっており、さいたま市の助産師会でもホームページが開設されましたので、会で協力しながら開業助産師の情報をしっかりとアピールしていきたいと思います。
2021年11月、自宅兼助産院を増改築して産後ケアで入所できる居室3部屋と給食施設、シャワー室、沐浴台、トイレを増設しました。2022年2月から、さいたま市と「デイサービス型産後ケア事業・宿泊型産後ケア事業」の委託契約を締結しました。今後、産後ケアが日本の文化に根付いていくよう、丁寧にケアを提供していきたいと思います。
助産師のケアによって母親が良い状態になれば、おのずと子どもが良く育つと思います。もう一人子どもを産みたい、産める、と思える状況を作り出すことができれば、少子化の解消にも役立てると思います。
もう一つは、父親支援です。父親が子育てに参加することで自分の人生にメリットを見いだし、かつ成長できるというところを支援することが必要だと思っています。「パパの幸せ育児」を支援していく、というスタンスです。パパが楽しく参加していただけるようなサポートを構築していきたいと思っています。
助産師の仕事は、ひとつひとつの仕事を「もっとこうしたら」、と自分で創造していく楽しみがあると感じています。時代に合わせて助産師に求められるものが変化していくと思いますので、時代の先を読んで荒波に挑んでいくことも必要だと思っています。荒波の中でしばらくもがいてみると、いつの間にか味方が増え、着実に結果がついてくるように感じます。私たち助産師は、虐待がなくなる日まで、産後うつがなくなる日まで、もっともっと頑張らなければ!と思います。そして、この大切な助産師という仕事を繋いでいくためには、助産師会を盛り上げていくことが重要だと思います。