カテゴリー | 産後ケア |
---|---|
名前 | 永森 久美子 |
所属 | 世田谷区立産後ケアセンター |
日本助産師会が委託を受けている世田谷区立産後ケアセンターのセンター長を務めています。当センターは2008年に日本初となる産後ケアに特化した施設として開設され、現在まで9,000組あまりの母子が利用しました。助産師・保育士・公認心理士・臨床心理士など多職種がチーム一丸となり、ケアにあたっています。
産後ケアセンター長の仕事は多々ありますが、ひとことで言うなら、センター内の業務の統括かと思います。副センター長・事務課長・安全対策担当助産師らと協力しながら管理業務を行っています。また、関連機関との連絡も大切な仕事ですので、様々な産後ケアに関わる部署と連携をしながら利用者さんに良いケアを提供できるように日々奮闘しています。
その中でも、時々直接利用者さんをケアすることもありますが、やはり実際に利用される方と関わることができる時間が一番楽しい仕事と感じています。
幼い頃は人と関わる仕事がしたいと思っていたため、漠然と美容師や歯科衛生士として働くことを考えていました。
勉強はあまり好きではなかったのですが、高校2年生の生物の自習時間授業で見たビデオが私の助産師への扉を開くきっかけになりました。そこには、生まれて間もない赤ちゃんが誰に教わることなく、母親の乳首を探し吸う様子が映し出されていました。赤ちゃんは嗅覚も優れていて、母乳のにおいもわかり、視力もぼんやりですがみえているという新生児の能力に関する内容でした。この内容をレポートにまとめるという課題が与えられ、私は「赤ちゃんは何もわからないし、何もできない。」と思っていたのですが、このビデオを見て、赤ちゃんは胎外に出て生きるための術を持って生まれてくるということにとても感動し、そのことについてもっと勉強したいと思ったのがきっかけで、助産師を目指すというところに繋がりました。
最初の就職先は、NICU併設の大学病院の産婦人科病棟でした。そこでは、正常な妊産褥婦も比較的多かったのですが、大学病院ということもあり、多くのハイリスク妊産褥婦のケアについて学びました。大学病院で働いている時は、私自身も幼く、経験値が浅く余裕がなかったということもあると思うのですが、感情を押し殺して働いていたようにも思います。
大学病院で勤務した後、短期大学の教員になりました。助産師志望の学生達は「助産師になりたい」という目標がはっきりしているため、本当に一生懸命でした。看護学や助産学を教えるだけではなく、実習に行って、これからお産をする人を一緒にさすったり、お産の過程を一緒に考えたり、振り返りをしていました。そのような中、教員をするならば、大学院で学んだ方が良いと思い修士課程をとるために勉強をし、大学院へ進学しました。
大学院の修士課程の中では、助産師の働き方について視野を広げることができました。毛利助産院での2週間の助産所研修では、助産師と女性との関係性を記述するという課題を通して、助産師の働き方には、今まで私が知らなかったお産の時のサポートや産後ケアについての働き方があるということを知り、驚きました。
この経験から、女性が自分の力で産むということやそれを支える助産師と女性の関係性などにとても興味を持ち、助産師とは、本来こういう仕事なのではないかと思いました。そして、「自分らしく」ケアにも個性が活かされてよいということも大切にしたいとも思いました。
修士課程を修了した後は、横浜の助産院で働いていました。そこでは、妊娠期からの継続的なケアの大切さや助産師としてどのように責任を取るかということを学びました。
前職でも産後ケア事業に携わっていましたが、夜勤の時に「泣いている赤ちゃんと一緒に過ごすのが辛い」という母親に出会ったときに、ふと「母親が赤ちゃんを見ることができないって大変なことではないか」と思い、日本の将来はどうなるだろうととても真剣に考えたり、産後ケアについての関心が高まっていました。
そのタイミングで偶然にも助産師会が産後ケアセンターの委託を受けると決まり、当時の助産師会の会長から連絡をいただき、産後ケアセンターで働くこととなりました。
私のこれまでの助産師の仕事は先を見通すというより、目の前のことに精一杯という感じで仕事をしてきましたが、その時々のご縁が次に繋がり、今に至るように思います。
私自身のことになりますが、助産師であっても自分がいざ出産するとなった時はとても不安になりました。出産を控えていた時に、毛利助産院の毛利さんから職場に電話がかかってきたことがありました。その時に「助産院で働いているからね。知恵を使っていいお産できる。」と声をかけてくださいました。その言葉がとても強く心に残っており、自分もお母さんたちに何かできたらいいなと思っています。
当センターの産後ケア事業の対象は、出産後4か月未満の母子となっています。出産施設の退院後に直行して利用する方もいらっしゃいます。初めての育児に対する疲労や不安で、センターに入った直後に涙する方もいらっしゃいます。出産後間もない利用の時は、毎日のように不安で涙をしていた方が、出産後4か月近くの利用の時には、「育児が楽しくなってきました」と笑顔で帰って行ったのは忘れられない光景のひとつです。その母親が周囲の人の力を借りながら、ご自身の力を発揮できたのではないかと思い嬉しくなりました。さらに、赤ちゃんの成長の時を母親たちと共有したり、前向きに育児していく過程を見ることができるのが一番のやりがいに繋がっていると思います。
センターの管理者として、スタッフの育成や勤務の調整などマネジメントに苦慮します。いろんな背景、臨床経験の助産師がいますし、みんなが最初からベテラン助産師ではありません。若いうちは経験がない分不安もあると思いますが、それも強みになります。ベテランや若手スタッフたちのそれぞれの良いところを引き出しながら、協力しあい、その方にとっての最善のケアを継続的に提供することを、いつも念頭に置く必要があると思っています。また、産後ケアにおいて母親に関わる中で大切なことはお母さんが育児をする上で、自立を妨げてしまうことにならないように、バランスをとることが難しいと思っています。母親により社会背景、ニーズは様々あるからこそさらに難しいと思っています。今は、ケアを継続的に提供するためにはどのようにしていくかを考えることが多いです。
今まであまり先のことを考えずに、目の前の課題に取り組むことを中心に仕事をしてきました。ですから、今後の展望と聞かれると難しいのですが、今は、センターで継続的なケアを提供するということを中心に関連機関とさらに連携をとれればと思います。
若いときは病院で色々なケースを経験していってほしいと思います。病院で働くことで余裕がなくなるかもしれませんが、やはり経験に勝るものはないと思っています。私自身、大学病院でハイリスクな妊産婦さんをみることができたことで、今の産後ケアにも役に立っています。読み書きしたものだけではなく、経験から繋がっていくことや、理解度も違うと思いますし、本当に貴重なのではないかと思います。
これからは、助産師がよりいろんな場面で仕事をしていく必要があると思いますので、自分の得意分野を見極めて突き進むのもいいと思いますし、助産師としてオールマイティになるのもいいと思います。結果がすぐには出ないときもあると思いますが、あきらめずに続けていると、いつか道は拓かれると思います。